雨雲のように

日記帳。たまに思ってることを色々と吐き出してます。

そういうことなのかな

新しくエッセイというカテゴリーを作ってみました。エッセイというと、かなり大げさに聞こえるけど、調べたら「随筆」という意味もあるそうなので。

本題へ。
少し前から考えていたのだけど、学生時代、図工やら美術やらの成績があんまりよくかった。いや、よくなかったというか、悪かった。
元々美的センスの欠片もなく、やる気すらもなかったため、ほとんど課題の絵とか、その他の作品をろくに作ったことがない。小中高、一貫してずーっとそんな感じだった。
当時の先生から散々やれと言われてもやらなかった。頑固な問題児。

嫌いなことからは徹底的に逃げるタイプで、美術の時間が大嫌いだった。あと保険体育。まあそれは置いといて。

そういう子供だったので、絵心がない。絵心がないのは自分でも分かってた。分かってた上で、練習などの努力をしない。そういう厄介なガキ。多分周りの人間からしたら、鼻つまみ者だったんだろうな…その上真面目でおとなしい性格(を装ってたのかな)だったから、怒るに怒れないんだろうな。だから、怒られたことがあんまりない。いつもなあなあで終わってた。

学生当時、美術の授業なんか役に立たねえよ、と教師がいないところで毒づいてたのをなんとなく覚えている。でも、それは違った。最近気付いた。

あれは絵心を鍛える授業じゃなかったんだ。もちろん、それも狙いのひとつではあると思う。でも、もっともっと大事な事を教えたかったのではないか。

それは、「仕事の納期を守る」こと。
美術の授業は、一年を通して、記憶が確かなら4つくらいの課題が出されていた。1つの課題を数週間で仕上げる。早く片付くならそれでいいけど、とにかく期限を守るのが大事。クオリティを上げすぎると、期限を守れない。でも手を抜き過ぎるのも考えもの。そこのバランス感覚を養うのが目的のひとつではないか。そして仕事の期限を守る意識を育てるのも大きな目的。

つまり、仕事が出来る人間は、学生の頃に真面目に授業を受けていた人間なのだ。まあそりゃ当たり前だよな。もちろん例外もある。納期を守れないけど、それでも仕事にあぶれない人間。おそらく大半はクリエイティブな仕事の人たち。天才肌というか。

僕は天才肌ではないので、結局仕事が出来ない人間。そうなのだ。才能があるわけでもないのに、努力もしないし、なんにもしない。そりゃ仕事出来ないよ。ダメな人間だよ。そこに行き着くんだよな。

そういう人間って、何すればいいんだろうね。大学にも価値を見出せずに中退したし、何やってもダメだ。なんか愚痴っぽくなったので、この話はやめようか。

考えた結果、美術の授業というのは、そういう大事な事を教えるためにあるんだな~と、最近になって分かったのさ。
だったら最初からそういう風に直接教えてくれよ…とも考えたけど、子供にそんな小難しい話をしても理解出来ない…と判断しての、という事なのかな。
まあ、この考えが正解なのかも分からないけどね。確かめるには教師になるしかない。そんなことしてまで正解を知りたいとは思わないけど。

この考え方は合ってるんだろうかね。間違っててもいいか。自分がそれで納得出来てるんだから。それで満足した。

エッセイ、これからも何か浮かんだら書いていこうと思います。しかしこれをエッセイと呼んでいいのだろうか…なんか違和感あるな…